karasunogyozui2008-05-09

写真は、2003年三重県四日市の学生王座戦での慶応大学将棋部。後列左がS氏。
  リンク先→慶應義塾大学将棋研究会


選抜奮闘記5*1

とき  平成15年(2003年)11月30日(日)
ところ 駒沢大学
棋戦名 学生王座戦 関東代表選抜トーナメント決勝(二将戦)
先手 岡部亮 (早稲田大学2)
後手 斉藤健一(慶応大学4)


  自分が勝った事でチームの勝ちを確信した。岡部との感想戦は、30秒くらいで終わつた。面白い将棋だたったが、それよりもお互いもチームのことが心配であった。そういえば少し前に斉藤優対鹿島が、感想戦に入つていたのを思い出した。斉藤優の「こうやられてたら負けてました。」という言葉を聞き、「『こうやられてたら負けてました』ってことは勝ったんだよな!」と思った。
 隣の葛山さんも勝ち、小関も五分以上で戦つている。
 観戦の2年生に状況を聞く。小川負け、小林さんは苦しいが、どうやら神谷は優勢らしい。神谷の局面を見ると、実際優勢である。有利なときの神谷の指し手には一種の安定感を感じる。別に奇抜な手は指さない、非常に無難な指し手ではあるが、逆転はされないだろうと思った。但し、勝ちが確定するまでは怖かった。怖くて将棋が見れなかった。いつの間にか勝負がついてしまっていれば楽なのに、と思いながら、対局室と控え室を行つたり来たりした。
 神谷が河崎玉を詰まして、慶應の4勝が確定し、この時点で王座戦出場が決まった。正直、最初はほっとした。それから嬉しさがこみ上げてきた。小関にわかるように、こぶしを握りしめ上に挙げた。小関も「わかった」と言う意味で小さくガッツポーズをした。その後、小関が高木に勝ち、5勝2敗で選抜優勝を成し遂げた。


 選抜優勝後、渋谷では祝勝会を行つた。兎に角嬉しくて飲み、叫んだ。この時ほどお酒が美味しかったことはないし、楽しかったことは無い。「塾生注目!」*2何度言ったことかわからないが、これほど便利な言葉があることが嬉しかった。その後どうなったか覚えていない。気がついたらカラオケでマイクを握っていた。どうやら2次会も飲みだつたらしいのだが、余り覚えていない。小関が泣きそうに喜んでいたのと、小川から「健一さんは観客をドキドキさせる将棋を指しますね。」みたいなことを言われた。いつも間にか取られた写真が2枚あり、皆の嬉しそうな顔が良く撮れている。じきHPでアップされるだろう。
 そう言えば、1次会の後109*3の前で「若き血」*4を歌った。大きな声で歌えば歌うほど勇ましく聞こえる歌である。永井さんは若干声が大きいことを気にしていたようであった。しかし、渋谷の人々は寛容であり、事なきを得た。


 永井さんの話が出たので、OBの話も少し、祝勝会には沢山のOBに来て頂いたし、常日頃からOBの方からは激励の言葉を頂いた。自分が非常に幸運だと思うのは、回りの環境に恵まれたということである。尊敬する先輩方、包容力のある同輩、最近プレッシャーの厳しい後輩。皆が居たから自分は将棋を指してきたし、今の将研があるのだと思う。この場を借りて感謝の気持ちを表わしたい。(斉藤健一
 

斉藤君のこと
 5日間にわたって、平成15年の学生王座戦の全国大会進出を決めた自戦記を紹介してきた。(一部編集したので、原文より少し短めとなっています。)
 斉藤君と初めて会ったのは、彼が小学校6年生の頃だったと思う。少年時代の彼は「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(かんば)し」と言う言葉の通りで、将棋は勿論強かったが、発言・行動が優れた子だった。そして、中学・高校と、他の学生の模範となるリーダー的存在であった。大学卒業後、帰省し地元企業に就職した。わずか4年で転勤となったが、この間の県西部棋界に対する貢献は計り知れないものがある。


 写真は、お別れ会のベルライト米子(5月3日(土)午後7時40分)。左が斎藤氏、右が阿部(広)氏。手に持っているのは、同日午後米子東高同窓会館での寄書き。(題字は三木徹氏)
 このあと、朝日町に流れ、夜遅くまで斉藤君との別れを惜しんだ。

  
 

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*1:慶應棋報119号上巻・斉藤健一氏の自戦記より

*2:慶応の学生が演説を始める前に使う言葉。早稲田は学生注目

*3:渋谷の109

*4:慶応の応援歌