S氏は、90年代後半の鳥取県高校棋界において、圧倒的な存在感があった。主な棋歴は、98年高校新人戦4位、高文祭団体の部に米子東高として3年連続参加している。また、98年の鳥取県で開催された全国高文祭の開会式では鳥取県の高校生を代表して挨拶をしたのも懐かしい思い出である。


 写真は、慶応大学進学後、将棋部の合宿で先輩とふざけている様子。
 リンク先→慶應義塾大学将棋研究会


選抜奮闘記2*1
とき  平成15年(2003年)11月30日(日)
ところ 駒沢大学
棋戦名 学生王座戦 関東代表選抜トーナメント決勝(二将戦)


第2譜
先手 岡部亮 (早稲田大学2)
後手 斉藤健一(慶応大学4)


 一時期、齋藤D*2対策として部室(ぶしつ)で右四間ばかり指していた頃があつた。その感じからすると、▲49飛は余り良い手ではない。普通、右四間は後手がやる作戦である。先手でそれをしていると言うことは、1手早く攻撃態勢を作れる。ここではその一手を生かし45歩と開戦すべきところである。ここでもまた僕は「あなたの今指した手は、悪手です。」とばかりに△73桂と跳ねた。

 
B図以下の指し手 
△73桂▲45歩△94歩▲35歩△75歩▲44歩△同銀▲45銀△55歩▲44銀△同金▲同飛△同角(C図)


 まず、△94歩は悪手。▲49飛を咎(とが)める意味でも、△86歩▲同歩△75歩と攻め合いたかった。
 そして、今度は岡部に悪手が出る。▲44同飛がやや急ぎ過ぎだった。僕は▲45銀の方が嫌だった。これに対し、△43銀打では▲44銀△同銀▲54金が嫌なため、△45同金とする予定だったが、以下、▲同桂 △44歩 ▲55角とされ、苦しい形勢と思う。


C図以下の指し手 
▲54金△76歩▲66角△35角▲55角△86歩▲同歩△88歩▲同玉△85歩(D図)通算指手56手


 本譜だと、▲54金の瞬間に△76歩が利く。そして△88歩で相手の応手を聞き、△85歩でお互い一歩も引かない攻め合いになった。もちろん、こっちが攻め合いで勝ちますよ、という意気込みを見せて強打である。攻め合い勝ちする自信は全く無かった。
 この△85歩を指したところでやや有利だった持ち時間を使いきり、お互い一分将棋となった。一瞬遅そうなこの継ぎ歩の瞬間が怖かつた。岡部の攻めは、ひたすら43を叩くことであり、こちらの攻めは玉頭から行くだけである。形勢は岡部の飛車切りが悪手で互角に戻したと思った。(斉藤健一

 

*1:慶應棋報119号上巻・斉藤健一氏の自戦記より

*2:関東学生棋界には同姓が複数いて、右四間のスペシャリストである明治大学の斉藤氏は年齢の上から4番目の意味で斉藤Dであった。