karasunogyozui2008-05-07

 04年帰省したS氏は、支部対抗戦西日本大会に3年連続参加した。07年にベスト4に入り、四段の正式免状を獲得した。(写真中央
 また、06年の山陰名人戦では、藤井真司氏(松江市)に勝ち、3位となった。
 同年の朝日アマ名人山陰ブロック大会では、惜しくも3位。
 07年の高木杯=海の幸=争奪将棋大会、山陽・山陰の強豪が集うこの大会の団体Aクラスで参加した西部支部A(S氏、阿部広之介、三森和明)は3位となった。
 最後の大会となった08年の山陰名人戦では、準々決勝で優勝した山内博文氏(大田市)に敗れた。
 

 この4年間は、S氏にとって満足のいく結果ではなかったと思うが、新社会人としてきっちり仕事をこなした上での成績であった。そして、大会では率先して準備・片付けをして、その姿を見て中高校生も手伝うなど、S氏は西部支部にとって貴重な存在であった。



選抜奮闘記3*1
とき  平成15年(2003年)11月30日(日)
ところ 駒沢大学
棋戦名 学生王座戦 関東代表選抜トーナメント決勝(二将戦)

第3譜
先手 岡部亮 (早稲田大学2)
後手 斉藤健一(慶応大学4)



D図以下の指し手
▲43歩△86歩▲42歩成△同金▲43歩▲87銀△79玉▲78銀成△同玉▲87歩成▲69玉△28飛▲48銀△47歩 E図 通算指手70手




 △85歩の時点で読んでいたのは、△47歩までである。これが詰めろなら、後手勝ちで、詰めろでなければ負けである。この時、もっと小関*2の詰め将棋を解いておけばと、後悔した。先手は▲42歩成から、▲48歩と歩で受けたいのだが、それは飛車が4筋に利くため岡部玉は詰んでしまう。そのため銀合しか無く、それを歩で取れるのだから何とかなるだろう、(というか、何とかなって欲しいし、ここから先は正直読みきれなかった。)


E図以下の指し手
▲42歩成 △同飛 ▲22銀 △41玉 △43歩 F図 通算指手75手


 実は先ほどの△47歩はほとんど詰めろになっている。詰まないように逃げることも出来るがその変化は54金、43歩が王手で抜けるため、後手勝ちである。
 それでは、ここから33手+12手詰みを皆さん考えて欲しい。(斉藤健一

 


R選手権の結果
第30回記念全国アマ将棋レーティング選手権の結果→リンク先・アマ連
山内宏悦氏(山陰代表)、残念!

*1:慶應棋報119号上巻・斉藤健一氏の自戦記より

*2:慶応大将棋部でこの日の棋戦の大将