そして昭和30年代になって公式の大会で活躍したのが、前期は岩本四段、松本五段、米村五段、山中四段、宮崎五段、稲田四段で、後期に入ると米村、宮崎のみとなり、他の人はほとんど大会に出なくなった。しかし、境港の角氏が復活をして来られ、時折鳥取市の児島、前田両氏が活躍される程度となった。
 振り返って見るに、先に上げた強豪とは、ほとんど対戦している。しかし、私の若い時一番多く戦ったのは宮脇、椿氏だろう。森氏には非常に期待され、勝負感及び対局の心構えなどを話して頂いた。また私の十代の頃、目標とした益田毅三段、この人達が特に印象に残っている。今はすべて故人である。健在なのは、角行孝五段と山中一央四段、米村幸一五段が県内にあり、大田学六段が大阪におられるだけではないか・・・と思う。*1他に現在でも元気ではあるが、公式の将棋大会には昭和30年代から出場されない人もある。
 私が米子の将棋界に出場したのは昭和27年、あれから四十数年の月日が流れ、此処に名前を上げなかった数々の人達も故人となり老齢に入っている。人生の流れの早さを感じる。
(96年6月、宮崎氏の文章より)

*1:角行孝氏、米村氏は故人となり、07年2月、最後の真剣師と言われた大田氏も他界された。