雨雲と共に金沢を目指す旅(中)

 9日(土)の午後、雨の金沢市内に入ると、21世紀美術館金沢城公園を観光、午後4時頃香林坊で軽く飲食。その後、二組に分かれた。
 雲組(芸術家、ゆうちょ君、カラス)は、駅前に戻り、「吟の小判」(日航ホテル隣)でまた飲食。バイ貝の刺身、治部煮が好評だった。
 雨組(長老、ネギ坊主、指導員)は、兼六園が夕方からライトアップされ無料になると聞き、大雨の中、向かったのである。さすがに観光客は雨組3人の他はいなかったようで、ずぶ濡れになって帰ってきた。どうやら、この3人の中に米子から金沢まで雨雲を引っ張ってきた雨男がいるに違いない。


日付変わって、10日(日)早朝、雨も止んだので、犀川を一人で歩くことにしました。
JR金沢駅前、ミヤコホテル付近です。


玉川公園、まだ暗いですね。


鞍月用水。藩政時代に作られたもので、犀川からひかれた水は、防火・生活用水として使われた。


長町の武家屋敷あたりは、風情があります。

犀川です。河川敷は散歩、ランニングコースです。

犀川を歩きます。



上菊橋まで来ました。


犀川と上菊橋」という案内板(金沢市)からの引用です

犀川命名由未は定かではないが、下流にある佐奇神社の社号にもとづく河名で、古くは佐奇川であったものが、西川または佐井川となり、後年、犀川の文字を用いるようになったと言う。また、上流の岸辺に山ユリの一種佐偉の花が咲き乱れていたことから佐偉川と言ったとの説もある。
 一方菊川町は、1819年、犀川の雅名菊水州からこの名がついたとも、また、この地にあったと芝居小屋の座元、菊川松之助の姓によったとも言われている。 
 明治の初めは一文橋(有料の橋)であったが、1899(明治32)年、私費で木橋を架設した。
 上菊橋は、元々、菊橋の名であつたが、1909年、下流に下菊橋が出来たので、上菊橋となった。
 その後三度の架替を経た平成13年10月、老朽化のため四度目の架橋に着手し、橋上に花壇を設けた安全で快適な橋として、平成17年3月に完成した。』


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