米子の町のプチ自慢(前)

先月末から県外のアクセス数が増えているので、米子の町を紹介してみたいと思います。(08.2の再掲)
街道をゆく伯耆のみち」(司馬遼太郎)の一節から入ります。




 『米子に泊まって、朝、町のあちこちから大山(だいせん)を眺めた。山容は、町のなかにある。・・・ビルの軒下を歩いていて、気がつくと交叉点のむこうに大山が出現している。』
 という文章から始まるエッセーは、中世の大山の話に飛躍し、大山寺の僧兵の大将と後醍醐天皇を助けた名和長年が兄弟であったことに及ぶ。そして、長年兄弟の財力は相当なもので、イワシ(鰯)売りであったという文献が紹介されている。
 鰯売りというのが意味深で、単に魚屋を言うのではなく、この海域の漁業権を持ち、多くの商船を持っていたと書いている。今風に言えば、境港の水産物の流通過程をすべて押えており、その蓄財で貨物船を持ち米や海産物(加工品)を運び、大富豪になったということになる。
 大山の森の栄養分は、雪解けとともに日野川から日本海に流れる。この一帯(美保湾)は今でも好漁場で、漁師間では通称「大山下」(だいせんした)と呼ばれ、境港の魚市場にアジやイワシが水揚げされる。
 というわけで、米子市民は毎朝大山を見て、また大山に見守られて生活しています。
 


 最後に大山の詩「わがこころの山」(大山中学・松田美代子さん)を紹介します。


あなたがもしも ひとりになって
静かにこころを みつめてみたい
そのときは 大山に行こう
きゃらぼくの みどり葉が
あなたのさびしさを つつんでくれる
そう、大山はみどりが いっぱいだから


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