K氏とは?(中の続々)

遠のく名人位

当時の日本海新聞観戦記(山中幸雄)より
平成5年11月14日
第16期西部名人戦三番勝負 第二局    新日本海新聞社西部本社
▲名人 平井正人(米子市、43歳)
△四段 池本健 (米子市、26歳)



(C図) ▲8四歩△同歩▲8五歩△7一玉▲8四歩△8二歩▲7四角△6三銀白▲5六毎△4大歩▲6五歩△4七歩成▲同角△4一飛▲4八歩△7三歩▲6四歩△同銀左▲6五歩△5三銀▲6八金直△3五歩白▲9五歩△3六歩▲9四歩△3七歩成▲同 桂△3六歩▲同角△3九角(D図)

 依然として局面は平井名人のベースで進んでいる。 
 前譜で触れた池本玉の早逃げが出たがタイミング的にずれたためいやいや逃げたという印象。△4四歩のままでの早逃げと全く意味が異なるものとなってしまった。快調な平井名人ジワリ、ジワリ、と相手を追いつめていく。▲6八金直など指がしなり平井名人のこの棋戦の鬼のような強さばかりが目立つ展開になった。
 

(D図)▲1八飛△4八角成▲4五桂△6六馬▲5三桂成△9九馬▲4三歩△5一香▲4二銀△2一飛▲6三桂成△同金▲5一銀不成△同飛▲6四香(以下略)まで平井名人の勝ち


 さて、池本四段待望の反撃。△3九角から馬をつくった。しかし、名人のカウンター▲4五桂がとぶ(馬銀両取り)。ここで△2六馬▲5三桂成△同馬でまだまだと思っていたところ、池本四段の棋風に合わないのか△6六馬▲5三桂成△9九馬と反撃にでた。
 一見▲6三成桂△同金▲5二銀の飛車金両取りで決まっているようだがこれはワナ。▲4九飛成が詰めろになるシクミ。ハッとしたが名人は読み筋で▲4三歩。こう落ちつかれては勝負あり。無難に寄せて平井名人の勝ち。2連勝で防衛。連続五連覇(通算八期)の偉業達成。
 池本四段は日ごろの半分の力も出せないまま敗退。来年また挑戦して名人位を奪っていただきたい。



難敵
 93年(平成5年)、K氏は3番勝負に敗れると、平井名人は5期連覇を決め、以後は独走時代となった。98年(平成10年)に10期連続防衛すると、翌年引退、第一戦から姿を消した。少年時代からの目標であった平井氏は、K氏の前から姿を消したである。
 ポスト平井の一番手と言われて久しいが、西部三強の一人の山住氏は健在、また年少の平野・山内両氏が台頭、K氏と取り巻く環境は激変してきた。
 平井氏引退の99年(平成11年)、K氏は9歳年少の山内宏悦氏(米子市)との3番勝負で敗戦した。いつか西部名人をと心に決めたのは81年で15歳の時、その時山内氏はまだ6歳であった。その胸中を思うに、時間は残酷であるとしか言葉がない。
 3度目の挑戦権を得るのは、2年後の01年の対平野名人戦。平野氏は難敵であるが、もう一人難敵がいる。それはK氏自身であろう。


以下は、平成11年11月22日の日本海新聞より(抜粋)。
 鳥取県西部将棋界の王者を決める「第22期西部将棋アマ名人戦三番勝負」は新日本海新聞社西部本社で開かれ、初挑戦の山内宏悦四段(24)=米子市、写真=が六年ぶり三度目の挑戦となった池本健四段(32)=米子市=を二勝一敗で下し、名人位に就いた。
 先代名人の平井正人さん(48)=米子市=の引退に伴い、10月24日に行われた挑戦者決定大会の準決勝の勝者二人が対局した。一勝一敗のあとの第三局は山内四段の居飛車と池本四段の振飛車の戦い。終盤に山内四段が着実にポイントを挙げ勝負を決めた。いずれも持時間を使いきっての熱戦だった。初の名人位に輝いた山内四段は「どの対局も苦しかった。(勝利は)運が良かったのかもしれない。今後は名人位に恥じない対局をしたい」と抱負を語った。
 一方、池本四段は「出だしでつまづいた感があり、全体的に苦しい対局だった。今後も挑戦を続けたい」と語った。
 この日は「市民将棋大会」(写真)も同時に行われ、市民約百人が盤上に火花を散らした。


カラスの勝手 「人気ブログランキング」に参加しています。
←ここを1日1回応援のクリックお願いします。