西部支部のこと(前)


 18日の西部名人戦挑戦者決定大会。この大会は、西部支部の原点とも言える大会で、支部創設時はこの棋戦が一番大きい大会で、ほかに毎月棋戦はあったが、現在のような大きな大会はなかった。
 画像は、昨年の第31期西部名人戦挑戦者決定大会。


 西部支部が創設されたのは、昭和55年(1980年)4月。
 その頃、私は帰省して3年目の春だった。将棋が指したくてたまらず、休日になると、角盤町にある道場(米子支部)に出かけていた。新参者なので、ほとんど人の顔が分からなかったが、淀江から来ていた30代後半の人が一番強く、その人を指すのが楽しかった。
 しばらく経ってから、博労町の道場を教えてもらい、今度はそちらに通うようになった。荒木さんと言う人が世話をしていたが、そこの道場で『西部支部の誰が・・・』という会話をよく耳にした。何のことか分からず、また将棋以外に関心もなかったので、それほど道場に溶け込むこともなく、夏になっていった。


 7月の終わりだっと思うが、博労町の道場に行くと、人が少ない。『今日は西部支部の大会で、皆そっちに行っている。10時からだよ。』腕時計を見ると、時計の針は10時を回っていたが、皆生温泉の大会会場に行くことにした。
 会場は旅館の大広間。初めて見る将棋大会、多分100人近い人が盤に向かっている。ああ、これが大会なのかと、一人感心していた。
 受付に一人の老人(60代後半)がいて、話しかけてくる。「クラスは何クラスか?」と聞いている。意味が分からず、聞き返していた。それが、高木先生(初代西部支部長)との出会いであった。


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