思い出の人

karasunogyozui2009-05-09

「将棋と私」と題する故坪倉春幸副支部長(1930−2001)の文章です。


 中国山脈の頂点山上にオギャーと生まれた四男坊、右手に算盤(そろばん)何と左手に将棋の駒を持ったそうだ。小学校に入学する前に子供は勿論大人にも負けた事がなく(当時部落は23軒)天下無敵いや井の内の蛙大海を知らずでした。
 年は流れて昭和25年(1950年)、私は警察予備隊自衛隊の前身)に入隊。広島、山口、福岡で四年。北海道で六年。将棋が強いと人が相手にしてくれないので、楽しく指す為に負けてやる事にしました。
 仕事の関係で将棋をやめて20数年、昭和53年(1978年)頃高木栄典大先生が本居碩夫氏同伴で訪ねて来られました。当時私は米子駐屯地将棋部の部長(会員数85名)でしたので、これが高木先生との出会いとなりました。


 時は流れて高木先生倒れられる。或る日、突然電話有り、博労町の公民館に出掛けました。そこには、米子市老人将棋同好会会長の後藤喜三郎、幹事長の山口哲三、高橋正美、片尾武司の各氏が参加代表で居られ、高木先生が倒れたあと現会長も高齢なので、この際二代目会長兼会計等総てをやってくれないかと、折角十数年つづいた会を続けて貰いたいとの話であった。私は日頃から老人の親陸、生き甲斐、楽しみ事は、老人時代に突入する今日、一番重要と認識し受けて立つ。 
 そして平成2年(1990年)2月1日、全員一致で坪倉会長兼小使が誕生しました。一回も休む事なく、早や7年6ヶ月が経ち変多くなり喜びの至りです。今では参加人数も大変多くなり喜びの至りです。
 これは将棋フアン特に老人同好会の皆様のお陰と感謝致して居ります。どうか今後も負けてやって下さい。よろしくお願い致します。現総人員一数は53名です。会費は500円也(昼食、賞品、お茶、年3回の菓子代)。60歳以上の他の市、郡の方でも我こそはと思われる方はどうぞ米子市老人将棋同好会員のつわものどもがお相手致します。【平成9年6月】


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