プロの横顔
故高木栄典支部長の文章から
さて、時は大正十一年*1の或(あ)る日(季節不詳)、友達の父親が大山寺で行われる牛馬のせり市に行くとのこと、少年も誘われるままに同行。
夜も明けやらぬうちに起き、岸本町を出発。目的地に着いてみれば、近郷近在の農家より夫々(それぞれ)自慢の牛馬(主に牛)を引き連れ、せり市に臨んで居ります。参道の両側には、当日の人出を当て込んで屋台がずらり、その中に大道(だいどう)詰将棋*2の店が大勢の愛好家を相手にやって居ります。三度の飯より将棋の好きな少年は人垣の間から暫(しば)らく盤上を見つめておりましたが、やがて「小父さん、この将棋は詰まない」と言った。それを聞いた香具師(やし)*3の小父さんは、ムッとした顔で「詰将棋が詰まんこと有るか」と怒鳴(どな)りました。ところが少年は余程(よほど)自信が有ると見えて、再び「詰まない」と言いました。盤を囲んでいた大人達は、吃驚(びっく)りして少年の顔を見つめておりました。
何分当時の大道詰将棋は、平均手数三十五手前後が主流でありましたから、小父さんは再度絶対詰むと言いました。少年は、すかさず「僕が逃げるから小父さん詰めて下さい」と言った。「よし、後で吠(ほ)え面(づら)かくな、子供とて容赦はせぬ」となかばすごんで、駒を取り上げビシリビシリ詰めにかかりましたが、少年は「ヒラリヒラリ」と牛若丸の如く体をかわし一向に詰まない。結局この将棋は不詰、見物の大人達は、声を出すのも忘れて呆然として居りました。小父さんは、何も言わずにソソクサと道具を片付けいずこともなく立ち去りました。
この少年こそ、現日本将棋連盟関西本部の長老「現日将連県西部支部師範」角田三男七段*4の旧制米子中学校一年生*5の頃の話です。矢張り専門棋士になる人達は、皆さん少年時代より夫々(それぞれ)逸話のあるものと、今更ながら感服させられます。
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画像は今年3月の大会(米子産業体育館)。