大田学さんのこと(2)

karasunogyozui2009-04-23

写真は、平成8年7月米子市皆生温泉で。(「大田学翁ふるさとに帰る」米子将棋まつりの前日)
前列左から、大阪の沖元二氏、大田さん、野山知敬氏、前列右が文中の宮崎秀雄氏。中列左から3人目が田中康晴支部長。後列左が文中の平井正人氏。その他鳥取県西部支部、中部支部のメンバー。


平成8年4月14日
大阪通天閣将棋センター
平井正人(米子市、45歳)
大田学 (大阪市、81歳)


第3譜 歳月

「昭和三十四年頃、大田さんが鳥取へ来ることになった。ところが、だれも向かうものがいない。宮崎君どうだね、と言われ“よおっし”と心に決めて指した。」と、当時を振り返る宮崎秀雄五段(米子市)。「その時、私は県代表になったばかり。大田さんはプロ四段に香落ちで勝つ人だから、力はプロ六段ぐらいだったと思うよ。えっ、手合い?うん、角落ちだ。夜を徹して指した。結果はね、忘れもせん。3勝4敗1持将棋。」
 その宮崎さんは、十年後、当時大学生だった平井正人氏と夜を徹して指す。延々5時間に及ぶ将棋もあったと、平井さんは振り返る。
 平井さんの活躍は三十代に山陰名人一期、鳥取県王将三期、県代表六回等々で現在も鳥取県西部地区の第1人者である。
 大田さんが語りかける。「平井さんは酒屋ですか。えっ、小売の方ね。ボクの兄弟も九州で酒屋をしていましてね、ハハハ。近々鳥取へ帰るから、その時、西部支部に寄ります。皆生の木村酒店に電話すればいいんですね。」


(B図から)△74歩▲25飛△24金▲45飛△86歩▲65桂△87歩成▲22角成△同飛▲73桂不成△同桂▲43飛成△52金▲46竜(C図)指手通算51手




第4譜 桃李


 昨年、東京で行われた盤寿の会に駆けつけたのが、元アマ名人の若林久雄さん。「最初はネ、ボクの方が少し強かった。でもあの頃の大田さんは、坂田三吉の王将じゃないけれど、大阪ならぬ鳥取から東京へ出てきて、何が何でも勝たねばならぬ、という気持ちがあった。その点、ボクは商売やっていたから、食いはぐれがない。その差なんだ。」大田さんの肩を軽くたたきながら若林さんが語り、大田さんはニコニコ笑っている。
 この盤寿の会が今度は大阪で行われるとのこと、また、今月封切された映画「ビリケン」では、大田さんも出演しているとのこと等々。大田さんは、話していても年齢の差を感じさせず、一緒にいて楽しくなる人。だから大勢の人が大田さんを慕って通天閣に集まる。
 桃や李(すもも)は物は言わないけれど、よい香りがし、美しい花が咲くので、自然と人が集まって道ができるという故事がある。通天閣に集まる幾筋もの道は、案外そうなのかもしれない。


△64角▲36竜△35歩▲56竜△44桂▲66竜△36歩▲84角△83金(D図)指手通算60手



(96年5月の山陰中央新報観戦記から)




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