故郷は遠きにありて at 金沢 (前)

 今日明日は旅ブログ。将棋とは縁がありません。


犀川大橋から見た雨宝院裏手


 実は、今から10年前ほど前の夏に旅に出て、炎天下の金沢市内と当てもなく歩いていると、犀川のほとりに小さな寺を発見した。案内板を見ると、雨宝院という古寺で、ここで室生犀星は育ったと言う。人気(ひとけ)のない風であったが、何度か声をあげると、お婆さんが出てきて資料室に案内してくれた。窓からは庭木が見え、右には犀川大橋がある。
 犀星は義父の室生真乗に育てられ東京に出たという簡単な説明くらいで展示物をぼんやり眺めていたが、話も弾(はず)まないので、「犀川近くのこの家で夜空を見ながら犀星は少年時代を過ごしたのですね」というと、すぐさま言葉が返ってきて「いえ、金沢は晴れの日が少ないから星など見えません。それに、犀星は変わった人でした。金沢に帰ったのも関東大震災の時と真乗の葬式の時だけです。それも、この家には寄り付かず、郊外の金石(かないわ)に泊まっていました」
 犀星は風変わりな人であったことの説明以外に特段の話はなかったが、それでも少し興味が湧いてきたので、帰りに犀星の文庫本を買った。確かにその中で、義母が「お前くらい変な人はない。」と幼い犀星に向かって話しかけるシーンがあった。


雨宝院


 そして今回(先週金曜の14日)、10年ぶりに金沢を訪ねるにあたって、その小説を読み返した。犀星は明治22年、元武士と女中の間に私生児として生まれ、生後まもなく、生家近くの赤井ハツ(義母・室生真乗の内縁の妻)に預けられた。寂しい生活を送っていて、家では義母になつくこともなくおとなしく、反面、学校では成績も素行もよくないので毎日居残りで立たされる様子が描かれている。
 例えば、【私はきのうのように教室に立っていた。『一枚二枚三枚…』と、人家の屋根瓦を読みはじめた。何度も何度も読みはじめた。気が落ちつくと、だんだん瓦の数が不明(わから)なくなった。目が一杯な涙をためていた。】
 やさしい心は持っていたが、意地が強く可愛げのない少年であったようで、連日、居残りで立たされる日が続く。少年の犀星は担任の教師に激しい憎悪を抱き、大人になって偉くなったらと、復讐を心に誓うようになる。


自伝的三連作。「幼年時代」「性に目覚める頃」「或る少女の死まで


 という訳で、一通り復習した上で、先週の14日午前9時、金沢駅から自転車で走ること20分。犀川のほとりの雨宝院に到着しました。
 


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