日本将棋考(前)
今年は中国という国について考えさせられた年でした。
9年前に中国と日本の将棋について書いた文章です。今とは少し時代背景が違います。(99年の日本海新聞より)
画像は弓ケ浜半島から見た美保湾と島根半島。
熱烈普及
先月の日経紙文化欄に「将棋、上海で熱烈普及」と題して、日本将棋のブームが紹介されていた。日本に留学していた時に将棋を覚えた許建東氏*1によって、現在は1万7000人の愛好者となり、今年は将棋専門学校が開設される見込みという。.
中国には象棋(シャンチー)という将棋があるので、この記事を見たときは少し驚いた。日本将棋のゲームとしての面白さは分かるが、外国に普及することは考えにくい。というのも、日本将棋は他国のものとルールが微妙に異なり、馴染みにくいという難点がある。
シャンチーは、自陣と敵陣の間に「河」がある。象(相)という敵陣に入れない不自由な駒がり、王将の役目を果たす師(将)とそれに使える士(仕)は、王宮の中に移動は限定されている。何より駒の再使用が禁じられている世界共通(?)のルールがある。(日本将棋だけが駒の再使用を認めている。)
つまり、世界から見て日本が異端である。であるから、日本将棋が外国に普及するとは考えにくい。背景に日本の文化に対する興味や関心があってのブームではなかろうか。
中国古将棋
数年前に四人将棋という新しい将棋が、島根県の平田市長*2によって考案され、一時期ブームとなった。将棋ライターの湯川博士氏は[中国のチーコッキ(七国棋)にヒントを得てつくったものだと思っていたけど…」と語っておられた。(実際はマージャンと同じように四人で遊べたらというのが動機であった)
七国棋というのは、中国の戦国時代(七大強国があった)のもので、19×19路の碁盤を使って七人で指した将棋のようである。時代が下り三国時代になると、三角形の盤に各辺5×9路の盤を継ぎ足した三人で指す将棋(三国棋)があった。
現行の中国将棋(シャンチー)は、言わば二国棋であり、秦滅亡後に覇権を争った漢と楚であった(その原型が韓国将棋の駒に残っている)。現在のように線上に駒を置く*3ようになったのは、日本の平安期にあたる北宋の時代と言われている。
シャンチーには、中国の歴史と文化が色濃く反映されている。*4