西部棋界今昔(2)

karasunogyozui2008-08-28


 鳥取県の西部地区で、誰が強かったのか、振り返ってみたい。
 今日は1930年代生まれ編(昭和5年〜14年)、ですから現在78歳から69歳。


 最初は宮崎秀雄氏(米子市、1935年生)。写真は25歳の頃、国鉄の制服でしょうか。
 十代から第一線で活躍しており、常に全国大会を目指しておられたので、ローカルの大会では馴染みがうすい。第14期中国名人(1971年)、アマ名人戦県代表八回、04年の全国シニア名人と枚挙のいとまがない。
 1987年国鉄を退職後、市内旗ヶ崎で将棋道場(王将クラブ)を開いておられた。シニア名人戦で全国制覇した後は、大会に出て来られない。
 西部地区最強であることは衆目の一致するところ。
 

 次に勝部素光氏(米子市、1936年生)。
 都会(確か関西)から米子に帰ってこられた当時(多分1970年代)、いきなり頭角を現し、圧倒的強さであったと聞いている。1980年の第3期西部名人であるが、一昨年には26年ぶりに西部名人位に就いた。実に70歳での名人返り咲きであった。


 そして、山根一郎氏(境港市、1937年生)。
 第1期西部名人で通算4期名人位に就いている。勝部・山根両氏は宿命のライバルとも言え、お二人が40代前半の頃は、西部地区は勝部・山根時代であったとも言える。お二人ともアマ名人戦はじめ、県代表で全国大会に出たことは数知れず。
 ところで、その昔山根さんとよく指したが、カラスの先手▲76歩にいつも△54歩であった。「そんな手はない。これは勝ちだ。」と自分に言い聞かせながら盤に向かうのだが、最後に投了しているのは自分自身であった。山根さんの△54歩に自信が揺らいでいったのを今でも覚えている。
 

 
  人気blogランキングへここを1日1回応援のクリックお願いします


 高校竜王戦の結果 リンク先→読売新聞