西部棋界今昔(1)
鳥取県の西部地区(米子市、境港市、西伯郡、日野郡)で、誰が強かったのか、振り返ってみたい。ただ、記憶が曖昧になっており、少しずれたことを書いたり、ほかにも強い人がいるのに書き忘れたりとかあると思います。その際は、コメント頂ければと思います。
年齢別(推定年齢・西暦)で行きます。
最初は角行孝氏(故人、境港市、1907年生)。
第2期西部名人。激しい攻め将棋で、盤面だけ見ると角さんの側は20代の将棋。礼儀正しく、誰にでも敬語を使われた。それが自然で、多くの人が角さんを慕っていた。
次は高橋正美氏(米子市、1924年生)。
渋い将棋で、何回指しても飽き足らない。あまり勝った記憶がないが、大会で一度だけ二歩で勝たしていただいた。去年だったか、中学生の三森君に負けた時の豪快な笑い声が印象に残っている。最近でも時折大会に参加されている。
3人目は山中一央氏(西伯郡会見町、1929年生)・写真。
アマ名人戦鳥取県代表で西部地区としては最古参(1956年の代表)。支部対抗戦西日本大会でご一緒したが、人柄がよく楽しい時間を過ごしたが印象に残っている。旗ケ崎の王将クラブ(宮崎秀雄氏主催、現在はありません)まで単車でやってきて、宮崎さんとよく指しておられたが、それも随分昔のこととなった。
以上、年齢で1920年代までの生まれの方です。
西部支部の創設者の高木栄典支部長(故人、1918年生)、坪倉春幸副支部長(故人、1929年生)は、忘れることのできない人です。
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