今年も、多くの人が天国に旅立たれた。
 最後の真剣師と云われた大田学氏もその一人、2月21日、享年92歳であった。
 安来市・山本政夫氏の句集「駒音観戦記」には新聞記事のコピーが綴じてられている。*1大田さんの晩年について書かれたものであるが、紹介して往時を偲びたい。


 写真は96年(平成8年)NHK大阪のスタジオの「ふたりっ子」の撮影場所。
 真剣師役の俳優・麿赤兒(まろあかじ)氏と演技指導の大田さん。(矩口勝弘氏から提供を受けた写真です)


『ピシッ。乾いた駒音が板の間に響く。背筋を伸ばし凛(りん)とした姿勢に、勝負師の気迫が漂う。
 経営難で閉鎖された「通天閣囲碁将棋センター」で25年間、将棋師範を務めた。受付だった堀留初男さん(78)は「誰もいなくても駒を並べる姿は、すごみがあり近づけなかった」。
 敗戦直後、故郷の鳥取県倉吉市に復員、将棋と出会う。腕を磨き、「真剣」と呼ばれるかけ将棋のプロとして全国を渡り歩いた。
 負ければ旅は終わる。何人もの金がかかった勝負もあった。「そんな時は、もう死ぬ気ですよ。ヒリヒリした毎日。楽しいもんじゃない」と振り返る。
「真剣の相手も少なくなった」と感じ始めた時、将棋仲間に請われ、62歳でセンターの師範に。「宣伝になれば」と出易した朝日アマ名人戦でいきなり全国優勝した。このころセンターは盛況で、指導の相手は毎日十人以上いた。 
 しかしこの十年余りは訪れる客は日に数人。「コンピューター相手に一人で将棋ができる時代。人間同士が向かい合うだいご味を知る人が少なくなったんでしょうな」
 閉鎖を機に故郷へ戻らないか、という親族からの誘いを「当分、ミナミや新世界の将棋道場をウロチョロするわ」と断った。「将棋指しは都会じゃないと生きていけんから」。将棋一筋の人生を投了するつもりはない。86歳。』


 


 写真は96年7月、米子市皆生温泉菊水本館で小谷光章氏(倉吉市)と指す大田さん。沖元二氏、野山知敬氏の姿も見える。
 なお、大田さんについては、7月2日から8日の日記で取り上げています。→リンク先

*1:6年前のもので「顔」と題する人物紹介欄