昭和59年鳥取県王将戦3番勝負(後)

 鳥取県王将戦は、その後21世紀王将戦、アマ王将戦へと変遷していくのは、すでに述べた通りです。
 昭和59年の西部支部の機関紙より。


王将戦三番勝負を振り返って(続)鳥取県王将 平井正人)


 第二局、北村氏の三間飛車左美濃戦法の戦いになった。私の仕掛けは三間飛草破りの定跡書にある形だが、通常の船囲いと違い左美濃に囲っている点である。

 図は便宜上、先手後手を逆にしてあります。
(A図より) △4八角成▲同金△同竜▲5三桂不成△同金▲2六角△4六竜▲5三角成△3三角▲6六香△7三銀打▲7一銀△8三玉▲6一竜△同銀▲6三金(B図) 以下平井の勝ち。


 長手数進めたが、ほとんど一直線の攻防だと思う。図の▲4五桂は私の攻め将棋の模風にピッタリの手だが、この手は第一局に勝った勢いと北村氏の受けの棋風とを考えた一大決心の一手である。私のやヽ優勢の局面だから、そんなに無理しなくても序々に優勢から勝勢になる指し方がいゝのではないかと、自間自答しながら気合いで指した一手である。
 この手は今でも悪手か好手かよくわからないが、結果論から言えば、この▲4五桂が第二局を制する一手になったという思いが、私の脳裏から当分の間消えそうにない。この気含いの一手は北村氏の意表をつき、数手後の▲5三桂不成▲2六角にあの早指しの北村氏が長考の連続となり時間を使い果たし、 一手三十秒の秒読みとなった。対する私は二十分以上を残し、終盤の寄せに力強い味方となった。北村氏の秒読みとなった直後、△3三角の悪手により私の勝勢がはっきりしてきた。△3三角では△4一歩、▲6四馬、△7三角、▲4六角、△同角、▲4一竜、△7九角打の変化があり、この方が本譜よりまさっていたのではないか。新聞によると第2局は私の大差の勝ちと書いてあったが、実際にはぎりぎりの勝負であり、第一局の将棋の流れをそのまま二局目に発揮出来た事が勝因だと思う。北村氏に対し二―○で王将位を防衛出来た事はうれしい誤算であった。
 今年は運良く私の勝利に終ったが、北村氏の実力からすれば来年も対局する事になるかもしれない。三番勝負を終ってみると″苦あれば楽あり″というのが素直な気持ちだ。
 来年も前人未到の四連覇を目指し頑張ります。


※以上、昭和59年12月の西部支部機関紙より、アップしました。