週刊ポストの企画で、田中寅彦九段が米子に来られたのは、?年前の楽しい思い出。
写真は、芦沢孝行さん(米子市両三柳)の栄えある挑戦の瞬間。


同行の湯川恵子さんには、米子をしかっりPRして頂いた。大きめの活字から入ります。



 「逃ぎょか逃ぎょかと米子へ逃げて、逃げた米子で花が咲く」との俗謡もある。開放釣庶民的といわれるその市民性が盤上にも鮮やかに現われた。「前2局は僕のせいもありましたけど、これは……」と田中九段。芦沢さんは自ら定跡破りで挑戦し、そして素晴らしい仕掛けを実現したのだ


 支部長の田中康晴さんは釣りの会の会長もしていて、その機関誌が「伯耆荒磯」。
 伯耆・・・そうか鳥取県といっても元は因幡(いなば)と伯耆(ほうき)、2つの国でしたね、因幡カラスに伯耆ネコというほど方言も違うらしい。 
 困幡が「将棋指すだか」とカラスみたいに力止めが多いのに比べて、伯耆は「将棋指すかや」とやわらかくい猫の声に聞こえるとか。
 伯耆富士こと大山(だいせん)に抱かれた米子市。この地に生まれ5才まで育った作曲家の高木東六さんが、「積極的で開放的で庶民的な市民性であるから、他所者を拒むことなく善意と寛大な心で迎えてやる」―
 そういう気概を久しぶりに故郷を訪れ皆生温泉に一泊した夜の「心に残ったこと」として昔お書きになっていた(昭和41年4月の週刊朝日