西部名人戦 (続)

karasunogyozui2010-09-28

 西部名人戦日本海新聞社主催で、同紙にも大きく取り上げられるので、この棋戦の知名度は高い。第12期から第21期まで連続10年名人位にあったのが、平井正人四段(米子市)。平井氏の黄金時代で、挑戦者はことごとく退けられていった。米子の町で、将棋と言えば平井名人の時代であった。画像は平成5年、5期連続防衛した時の平井名人。
 ただ、90年代も半ばに入ると、西部支部主催の大会が増え、将棋人気も手伝って参加者も急増していった。このため、西部支部の幹事長である平井氏は西部名人戦以外の棋戦に参加できなくなった。(大会運営の中核が平井氏であったため。)「年に三番しか指さない名人」(西部名人戦三番勝負)と西部地区で言われ始めたのは、この時期ではなかったか。
 本池名人(93年生まれ)がまだ将棋を知らなかった時代の話である。

 年 度  西 暦  名 人
11 期 昭和63年 1988 山根一郎境港市
12 期 平成元年 1989 平井正人 (米子市
13 期 平成2年 1990 平井正人 (米子市
14 期 平成3年 1991 平井正人 (米子市
15 期 平成4年 1992 平井正人 (米子市
16 期 平成5年 1993 平井正人 (米子市
17 期 平成6年 1994 平井正人 (米子市
18 期 平成7年 1995 平井正人 (米子市
19 期 平成8年 1996 平井正人 (米子市
20 期 平成9年 1997 平井正人 (米子市
21 期 平成10年 1998 平井正人 (米子市


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