Back to the 日本の原風景 (後)

karasunogyozui2010-04-06

 奥津の街並みのはずれにあるのが、奥津歴史資料館。プレハブの小さな建物で、中に入ると資料やビデオ解説があり、この一帯の歴史は古く、たたら製鉄が行われた様子が分かる。
 それは、さておき、この日、奥津を目指した動機は、昔見た映画であった。資料館には、係りの60代の男性が一人いて、早速訊ねて見ることにした。
長門裕之岡田茉莉子が共演した映画がありましたよね。」
「あぁ、『秋津温泉』ですね。」と言って、案内用の地図に赤いボールペンで、クルマで数分のところに当時ロケが行われた場所(大釣温泉)があることを教えてもらった。
「そうですか。で、長門裕之が川床のような所を歩いてシーンがりましたよね。」
「私も映画を見たのが、随分昔でよく覚えていません。昭和37年の映画ですからね。川床なら今歩いて来られた所、岩場なら大釣温泉の少し先の甌穴群(おうけつぐん)です。」
 その昔、秋津温泉が実在の地名と思い、岡山県の地図を開いては、何度も探し続けたことを話すと、係りの男性はにこにこ笑いながら、「元は藤原審爾の小説*1ですからね。」と言って、「大釣温泉までの道で通行止めの箇所があるけど、日曜だから、多分片側通行になっているはず。」と、丁寧な説明をされた。


 映画のロケ地・大釣温泉に着きました。吉井川は川幅が広がり、水量も多くなっている。
 ここでコーヒータイム。昭和37年の映画のロケは、この建物が立つ前の木造の古い旅館で行われた。


『秋津温泉』とは・・・
 時は昭和20年。結核の治療で岡山の秋津温泉に来ていた学生周作は、絶望の淵にあり自殺まで考える。宿の娘と知り合い、「一緒に死のう」と心中を申し入れるが、やがて娘の純粋さに惹かれ、生きていくことを決意する。
 その後も、幾度となく秋津温泉を訪れ、周作と娘との関係は深まっていく。十数年経ち、旅館を手放した娘は、訪ねてきた周作に「一緒に死んでくれ」と心中をせがむ。周作はそれを拒み、娘は翌朝自害する。その朝、周作が歩いていたのが、川床だったか、岩場だったのか、思い出せない。


店の人が親切にも白黒の大きな写真を見せてくれた。
この写真が誰なのか、分かりますか?(回答は後ろに)



足踏み洗濯の風景


甌穴群(おうけつぐん)



 以上、たまには、日本映画のことを書こうと思い、急遽奥津温泉に路線変更した日曜の話でした。


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白黒の写真は、ロケの合間に撮ったもの。左が岡田茉莉子(29)、右が日高澄子(39)。
正解された方は、多分75歳以上でしょう。

*1:甘い夜の果て