釣りの師匠は亡き父

karasunogyozui2009-11-26

 わが西部支部支部長、田中康晴氏(画像)は将棋と共に釣りを趣味とされている。今日は、伯耆荒磯クラブ(会長・田中康晴)の会報の一文を紹介したい。田中支部長の亡き父への思い、そして釣りへの情熱が伝わってきます。


 小生が釣りを始めるきっかけになったのは、亡父田中晴男が出雲税務署時代によく釣りに行っていた神西湖*1でのボラ釣りであった。父は5歳の小生を自転車の前へ乗せ、知井宮*2から湖陵町までペダルを踏む。まるで釣りへの情熱とロマンが伝わってくるようだ。釣れたボラは母スエ子(33歳で亡)がタライに入れ、水洗いで料理をしてくれた。その優しい姿が今でも目に浮かぶ。斐伊川水系の川では、コイやフナ釣りにもよくついて行った。
 昭和37年4月、父が税理士事務所を開業し、補助事務員として記帳、会計の仕事をするようになってからも、土曜、日曜、祭日には父の釣りのお供をした。父は自動車運転免許証を持っていなかったので、釣りはもとより何の行事でも小生が運転手であった。この当時は島根半島の美保関の獅子が鼻、諸喰*3鼻、法田湾がホームグランドで、チヌ狙いでよく釣れた。3月15日までの所得税確定申告の時期が終了すると、釣りもシーズンオフとなるので、夢と希望を描いて一生懸命仕事を仕上げていたのを覚えている。
 昭和48年、小生が担当していたクライアントと事務員2名を父より引き継いで独立させて頂いた。ちょうどこの頃、伯者荒磯クラブヘ50人目の会員として入会し、本格的な釣り活動をスタートさせた。山陰の釣りのメッカである隠岐の島への釣行も始めた。小生はマダイ狙いが主体で、マダイ特有の首を振る強烈な引きに魅せられ36年間で延ベ1400日くらい釣行している。目標はlmですが、現在までは86cmをキープしている。
 釣りに行かせて頂けるということは本当に幸せなことであります。妻や家族が健康である事、仕事が順調である事、天候が順調である事などをクリアしなければ釣行できません。
 魚がかかってからボンピングするまでのやり取りのテクニック。ぼんやり海面に浮かぶタルカゴを眺めながら一服するタバコのおいしいこと!ブルーから灰色まで七色に変化する海面。時折、遠く潮目付でハマチが乱舞して海面が水しぶきで盛り上がる様子。平和そうにカモメが比翼している様子。潮香のある風、波の音、見上げれば色々と変化する雲と青空。夜には星空!漁火(いさりび)等々。まるでおとぎ話の国ヘ行ったような錯覚を覚えます。大自然の移り変わる様子を体験していると神によってこの世に生かされているのだと思うと、感激して感謝あるのみです。


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*1:じんざいこ

*2:出雲市

*3:もろくい