ペッタイと名人


 今年で32期目を向かえる西部名人戦。過去11人の名人が誕生している。
 回数別で見ると、平井正人氏(米子市)が13回、山根一郎氏(境港市)と山住道明氏(米子市)が各4回、勝部素光氏(米子市)と上村猛氏(米子市)が各2回、角行孝氏(境港市)・山内宏悦氏(米子市)・平野琢也氏(米子市)・池本健氏(米子市)・三森和明君(米子市)・本池達也君(米子市)の各1回となっている。
 このうち、米子市在住者の9人を厳密に見た場合、転勤組が上村・山内・平野の3人、新市内が平井・山住・勝部・三森・本池の5人である。新市内の中で、平井氏・本池君は弓浜在住なので、過去31期のうち、浜(弓浜半島)から4人の名人が19期在位したことになる。
 旧市内は池本氏がただ一人ということになる。人口が旧市内に集中していた時代と今は違うが、意外な感じがする。また、西伯郡から名人が出ていないのも不思議である。


 なぜ、浜が強いのか?よくは分からないが、名人在位最多の平井氏(米子市和田)の場合はどうか。その昔、少年時代の平井氏は、ペッタイ(標準語はメンコ?)が滅法強かった。近所の子が小遣いで買ったペッタイは、時を待たずして平井少年のものになっていったと聞く。
 手のひらサイズのペッタイで、団扇(うちわ)のような大きさのペッタイを軽やかに裏返していく。気合と技・・・。強い子は必ずいて、そうでない子は沢山いた。たくさんのペッタイを手に持った子は、ちょうど相撲の懸賞を手にした横綱のようで、回りの子供たちから羨望(せんぼう)の眼で見られていた。
 西部名人として全盛期の平井氏は、まさに気合と技の人であった。


 過去31期のうち、浜が19期を制している。浜の人は、『勝負強い』という共通項で括(くく)れるかどうか?
 しばし、本池君(米子市大篠津・画像)の活躍を見守っていきましょう。


カラスの勝手 「人気ブログランキング」に参加しています。
←ここを1日1回応援のクリックお願いします。