幸福ゆき

karasunogyozui2009-05-17

 昨日の高文祭鳥取県予選の結果は、午後4時頃、鳥取の松本氏から連絡を頂いた。昨年までは英樹君、その前は憲太郎君と、二人の息子さんを中心に県高校棋界の最強とも言うべき黄金時代であった。今年は、松本兄弟の後継者とも言うべき原田君が、4月の山陰名人戦で名実共に山陰NO1となった実力を見せて圧倒的強さで優勝、全国大会での上位入賞が期待される。


 さて、今でこそ、西部支部は新聞社主催で年10回程度の大会を開催しているが、90年代初めはそういう大会は少なかった。確か、91年(平成3年)の夏だったと思う。高校竜王戦を西部支部が受け持つことになった。当時の高校生のレベルは今とは違い、大会Bクラスで指せたら県内最強であった。従って、参加人数も少なく、上福原の西部支部道場で行った。
 その日は、8月上旬の猛暑の日であった。集まった数人の高校生の中に、真っ黒な子がいた。日焼けの仕方が尋常ではない。言葉が少し違うので、「鳥取から来たのか」と聞くと、相手(私)の眼を見て話しができる子で、「そうだ」と答える。「どうやって来たのか」と聞くと、道場の玄関先に止めてあった自転車(通学用)を指差す。
 日中の気温が35℃もあっただろうか、とてもじゃないが、9号線(国道)を鳥取から米子まで走れるわけがない。前日は米子に辿り着くことができず、途中倉吉で野宿して、朝方に米子に到着したと言う。その日は疲れを見せることなく、一心不乱に将棋が指していた。
 そこまでして、将棋を指したかったのである。彼の名は森原幹成君、鳥取工3年生であった。卒業した後もよく大会に来てくれた(さすがに自転車ではない)が、最近は見かけることがなくなった。
 あの時の森原君のような少年にもう一度会いたい。


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 画像は幸福ゆきの切符。
 昨日のTV「田舎に止まろう!」、タレントの熊田耀子の旅(帯広市幸福町)に感動して、机の中から出してみた我が家の宝物。