昭和の日

 26日の日曜は、父の13回忌の法事だった。10時半から始まった法要は、いつものように住職の淀みのない読経(どきょう)で始まった。小休憩をはさんで、全員で讃仏偈(さんぶつげ)を唱え、正午前に終わった。
 最後に住職から「今回が13回忌。次が17回忌、33回忌。その後は50回忌ごとになります。実は、再来年が親鸞聖人の750回忌で、京都の西本願寺で法要が行われます。700回忌の時、私はまだ学生だったのですが、門徒で貸しきったSLのような列車に出雲駅から乗って、京都へ行きました。」と、昔話があった。


 その話を聞いて、小学校の頃、夕方米子駅から蒸気機関車で京都に修学旅行に向かったことが思い出された。先生から「窓を開けるな。煤(すす)が入ってくるから。」と忠告されても、あちこちで窓を開けるはしゃぎ声が聞こえた。あらかじめ用意していた古新聞紙を車両の通路に埋め尽くして、その上に横になったりして、今ではありえない光景である。
 早朝、京都駅に着くと、西本願寺近くの旅館で朝食を取った。薄もやのかかった静かな風景が記憶に残っている。


 それは、さておき、故高木栄典氏が西部支部を創設したのは、昭和55年(1980年)4月。来年が30周年ということになる。創設時からの役員は、長老、理容店主の二人だけである。この30年(まだ29年でした)で、西部支部も大きく変わった。
 来年の30周年に向けて、皆で長考に入らなければなるまい。


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