からくち批評  続編

karasunogyozui2009-03-11

 昨日の日記(指導員)は、8日の大会で西部支部道場のこども達の活躍した喜びを指導者として綴ったものであった。
 写真は8日の大会、手前から峰谷(松江市)−原田(鳥取市、17歳)戦、その向こうが里見(出雲市、20歳)−戸国(鳥取市、19歳)戦。


 ところで、8日の大会で、出雲からの参加者(青年)が「今日、T君(小学生)は来てないのですか。」と訊ねてきた。「来てないよ。」と返事をすると、「やはり・・・」と言って、その青年は話し始めた。 
 何でも先週の山陰中央新報の将棋欄にT君の棋譜が出ていて、辛口の批評がされていたと言う。私もその部分は読んだが、確かに辛口であった。青年は「批評は正しいかもしれないが、T君側の事情もある。」とこの一年の状況を説明しながら、T君のことをしきりに心配していた。
 確かに、その批評は率直に受け入れれば、かならず上達の原動力になるものであった。ただ、それは、批評する人とされる人との2者間においてのことであり、批評が新聞の活字となると違ってくる。第三者である読者がいる。読者は実に多様で、将棋を全く知らない読者もいる。その場合、観戦記の言葉だけに反応して、誤解をする場合もある。書き手の思いが伝わらないこともあるのだ。


 現在、山陰棋界は、里見香奈倉敷藤花を筆頭に十代後半の強い子がきら星の如くいる。それに続く小学生の強い子も次々に出てきている。子供達が諸先輩方の意見をよく聞き、さらに強くなってもらいたいと願っている。


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