帰らない日

karasunogyozui2009-02-04

 昨日は夕方、高校時代の同級生と出会い、雑談をしていた。彼はその昔、境港に勤務していたことがあり、境港が水揚日本一であったことに話が及んだ。百万トンの水揚が何年も続き、港が活気づいていた時代である。彼の勤務先にも、水揚げされたばかりのイワシが届けられていたという。
「今はマイワシが獲れなくて、タイより値がいいらしいね。」
「昔の境港が戻ってくるだろうか。」
「いつ頃だっただろうか。」


 雑然とした会話のあと、一人になると、記憶の糸を辿っていった。
 高木杯=海の幸=争奪将棋大会の第1回が平成4年(92年)。そうだった、境港が水揚日本一の頃にこの大会は企画された。
 混濁した記憶の中から、高木先生の奥さんの君枝さんがしっかりした足取りで大会会場に幹事長の平井氏を訪ねる姿が浮かんできた。小さな風呂敷から取り出された封には寸志と二文字書かれていた。それは君枝夫人が亡くなるまで続いた。平井氏によると「高木の名前を残していただいてありがとうございます。」という言葉が添えられていたと言う。

 
 それから、雨風の中、帰宅すると、世間に倣(なら)ってなのか、食卓に恵方巻がある。
「今日は節分だからね。」
「ああ、そうなんだ。」
 隣の家から、豆まきの甲高い声が聞こえる。豆が何かに当たる音、はしゃぎまわる声、お爺さんの声・・・。我が家の4人は隣家の様子に自然と顔もほころび、そして食卓の恵方巻を眺めながら、めいめいが昔のことを思い返していた。


 8日の第18回高木杯、天候に恵まれて、盛会になることを祈っています。


画像は高木先生と平井幹事長。(米子市朝日町)


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