境高かしのは会館(中)

 1月17日のW祝賀将棋大会、第31期西部名人の本池達也君(境高一年)のスピーチは、育ててくれた人達への感謝、これからの決意と気持ちのこもった内容だった。
 そして、大勢の方の祝辞の中で、副支部長の足立泰雄氏(米子市富益町、70歳、境高OB)は、「私は境高の第5期です。実はかしのは会館の場所を確認するため、昨日境高に来たのですが、学校の方から『どういう関係ですか』と訊ねられ、今日のことを話したところ、校長室に案内され、校長先生と初めてお話しをすることができました。」
 会場に参加された方々(約40名)のどの顔も笑顔で、足立さんの話に聞き入っている。「実は私は富益公民館でこども将棋教室をやっておりまして、大篠津から小学生の本池君は通っていました。駒落ちを教えていたのですが、終盤に来てなかなか指さないんです。ふと、顔を見ると、涙目になって、それからポロポロと・・・。悔しかったんですね。その時、この子は必ず強くなると思いました。おめでとう、本池君。」本池君も当時を思い出したのか、照れ笑いしながら、嬉しそうにして足立さんの話を聞いている。


足立さんの祝辞を聞く里見さんご家族


 最後頃の祝辞は、前西部名人の三森和明君(米子東高一年)。昨年11月の西部名人戦三番勝負は稀に見る激戦であった。名人位を失った三森君の胸中を察するに余りあるが、昨年暮れこの催しにあえて彼を誘った。
 そしてこの日、正午前に和田の道場で待ち合わせ、盤・駒・時計の搬入を手伝ってもらい、車で境高に向かった。普段はおしゃれで私服なのだが、今日は学生服姿である。
 思い出されるのは、先月の朝日アマ山陰大会。三森君は、決勝の原田―本池戦を最後まで見ていた。終局後しばらく感想戦が続いていたが、三森君は会場の一角にいた本池君のお母さんに気づくと、歩み寄って「優勝、おめでとうございます。」と言って、頭を下げた。
 そして、この日の三森君は、祝福の言葉を述べると「今でも夜になると三番勝負の局面が目に浮かぶんです。」と話した。


 この数ヶ月で、二人の少年は変わった。本池君も昔の本池君ではない。三森君も昔の三森君ではない。将棋を通して、一回りも二回りも人として大きくなったように思う。


祝賀将棋大会第4ラウンドの米子東高対境高。大将戦、左・三森君。右・本池君。