100年前

 今日の話は将棋に関係ありません。
 最近、百年に何とかという暗い話題が多いので、百年前の明るい話をします。明治41年(1908年)で、日露戦争が終わったあとになります。
 この年一般公募による初めての美人コンテスト(世界美人競争の日本代表)が行われ、末広ヒロ子(16歳)いう女性が今で言うミス日本となりました。当時は写真審査で行われたですが、実は本人には内緒で兄が応募したので、そのことを後に知った本人は不服のようでした。
 主催紙の方が賞品のダイヤモンドの指輪を持って、末広家を訪ねると、兄夫婦はびっくり。さらに新聞には写真入りで報道されるので、学校でも大変な評判となったとのことです。
 

 と、ここまでは良かったのですが・・・


 ヒロ子嬢の通う学習院の学院長が激怒、当時の新聞に掲載された学校の意見として「本人が虚栄心に駆られて自ら応募せしならば、他の生徒等の取り締まりの上、停学もしくは論旨退学の処分をなさんと目下しきりに協議中・・」とあり、結局ヒロ子嬢は退学となってしまうのです。
 ところが何を思ったのか、学院長は、その代わりに結婚相手を探し、そして自ら仲人をつとめ、ヒロ子嬢は侯爵家に嫁ぐことになったのです。めでたし、めでたし。
 以上は明治事始100周年からでした。リンク先→Z旗のHP


 さて、学院長は誰あろう、日露戦争の英雄・乃木 希典*1
 松江に乃木という地名がありますが、なぜか、善光寺*2という寺には乃木将軍の墓があります。
 リンク先→お出かけガイド

*1:のぎ まれすけ

*2:松江市浜乃木1丁目