星野ジャパン

 今日は将棋から離れます。
 昨日のオリンピックの野球、悔しいですね。という訳で、気分晴らしに昔の新聞を見てみましょう。
 星野監督倉敷商3年生の時です。第46回全国高校野球選手権大会東中国大会が米子市の湊山球場で行われました。倉敷商が1-0で米子東に勝ち、米子南が9-8で関西(かんぜい)に勝ち、代表の座をかけて倉敷商と米子南の対戦です。



 その前に当時の記事(日本海新聞)に「敵味方越えた友情」と文章が載っていました。
〇…「決勝戦はぜひ勝って下さい。ぼくも応援に行きます」―二十九日夜、米子市灘町の旅館に泊っている倉敷商の星野投手へこの日倉商に敗れた米子東の木村選手から電話があった。この二人は、春に倉敷商と米子東が湊山球場で練習試合をして以来の友人。一年生の木村君は、星野投手からいろいろとアドバイスを受けたこともあって、大の仲よし。
〇…二十九日、両校の対戦は倉商の勝利だったが、力投して負けた木村君は少しも悪びれず、三十日の決勝戦では三塁側の倉商応援団席にがんばり「それいけ倉商」と声援を送っていた。



 米子南高が2年連続で甲子園出場を決めました。
昭和39年(1964年)7月31日の日本海新聞朝日新聞からです。3ケ月後、東京オリンピックに沸いた年でした。


 









リンク先→第46回全国高等学校野球選手権大会



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 現在の米子南高です。秋の水稜祭です。
 なお、野球部は廃部になっています。