若き太陽


 一昨日、中原誠十六世名人が緊急入院した。王将戦2次予選の木村一基八段に勝ったあと、体調不良を訴え、救急車で病院に搬送された。かつて「若き太陽」と言われた中原名人も還暦を過ぎ、この暑さに体調を崩されたのであろう。リンク先→毎日新聞



 中原名人は鳥取県気高郡鹿野町の生まれである。ご両親は戦後大陸から引き上げたあと、母親の実家である鹿野町に在住したが、名人が生まれて間もなく宮城県塩釜市に居を移した。   
 毎年8月に開催される中原誠名人杯争奪戦は、鹿野町商工会の方々が中心となり、山陰最大規模の将棋大会であった。西部支部の大会運営の参考のため一度だけ参加したことがあるが、会場の国民宿舎山紫苑の大広間は200人近い参加者で埋まり、そして豪華賞品の数々に圧倒された記憶がある。
 アトラクションで、中原名人の指導対局(三面指し)もあり、申し込んだところ、運よく名人と対局できることになった。手合いは飛車落ちで、たまたま大会に参加していた三木徹氏に作戦を伝授してもらい、対局に臨んだ。
 作戦は無理攻めであるが、実は手になっていて、中盤あたりで名人が少し首をかしげておられた。三面指しであるので、順番に指していくのだが、途中から私のところは盤面を見るだけで、隣二つの対局だけが進んでいく。やがて、隣二つが名人の勝利で終わると、「さてっ・・」と言って名人は私のところの盤に向かう。名人は一手一手に時間と使うと、ふわりと駒を持ち上げる。私は急に落ち着きを失い、名人の指し手の意味は、凡人の読みの及ぶところではないと考え始める。スーツ姿の名人の表情を間近に見て、自分が将棋を指している現実を忘れていく。
 気がつくと終局。「こう指せば有望だったんです。」名人は丁寧に解説してくださった。今思い出すと、夢のような時間であり、貴重な体験をさせていただきました。


 中原誠十六世名人の一日も早い回復を祈ってやみません。


画像中原誠十六世名人直筆の扇子。(師範代所有のもの)



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