神戸・米子記念対局(1)

平成9年1月12日
米子市皆生温泉 松涛園


▲松平信一(神戸市)、野田敬三五段
△田中康晴(米子市)、淡路仁茂九段



 震災から二年の月日が流れようとする一月の晴天の日、田中康晴西部支部長は米子駅で遠来の客人を待っていた。一昨年夏の阪神復興支援米子将棋まつり以来の再会となる神戸元町淡路将棋センター席主の松平信一さん、そして「その時のお礼にぜひ米子へ」と同行されたのが、「不倒流」の勇名で知られる淡路仁茂九段と同門の野田敬三五段である。
 軽い昼食をすませると、新春将棋大会会場の米子産業体育館で淡路九段のお礼の言葉。そして、平成八年度の最優秀成績者に贈られる田中康晴大賞の左馬の特大の飾り駒が、田中支部長の「今年一番活躍されたのは復興に向けて並々ならぬ努力をされた神戸の皆様です」の熱いメッセージのあと、拍手喝采のなか神戸の松平さんに手渡された。
 当日の夕刻、松平信一氏のご好意で実現した記念対局が本局である。


(松平・田中戦)▲7六歩△3四歩▲6六歩△8四歩▲7八銀△6二銀▲6八飛△5四歩▲6七銀△4二玉
(野田,淡路戦)▲4八王△3二王▲3八銀△5二金右▲1六歩△1四歩▲5入金左△2四歩▲3九王△2三王(A図)



 新春将棋大会の指導対局は、東は岩美町から西は温泉津町まで36人を相手に、淡路九段、野田五段の九面指しの二回転であった。淡路先生によると最高が15面で、「やはり腰に来るんです」と一言。
 さて本局は会場を移して皆生温泉松涛園(しょうとうえん)。四階の対局室の大窓からパノラマのように広がる美保湾。そして島根半島。遠く指さしながら「あのあたりが隠岐島です」と田中支部長。すると淡路先生、「隠岐のツマに友人がいましてね…」「(ツマ、妻…?)ああ、都万*1ですね。島後(どうご)*2ですよ。」と人さし指を少し右に向けて再び遠方を指した。
 「さて、どういう風に?」四人の対局者の八つの目が私に集まる。「で、ではジャンケンで…」と私。淡路先生と野田先生が、還暦過ぎた松平さんと田中支部長が、童心に帰って元気よい声で「最初はグー、アイコでしょ!」というわけで本局の組合せは決まったのである。
 後手田中支部長の左美濃△6四歩の作戦を受けて、淡路先生すかさず△6五歩から△7五歩と手筋の攻め。「これは息が合ってきたぞ」と記録係の私も思わず息を飲み込む。後手の△6六歩に先手野田先生は巧みに▲7六銀とかわす。「もう一手あるんかなぁ」「はいっ」と私。「じゃあ、ここで」と淡路先生が△6七歩成とし、席を立った。(山陰中央新報より)


(松平・田中戦)▲2人王△3二銀▲9六歩△9四歩▲4六歩△7四歩▲5六歩△6四歩▲4七金△8五歩
(野田・淡路戦)▲7七角△6五歩▲3六歩△7五歩▲同歩△8六歩▲同歩△6六歩▲7六銀△6七歩成 (B図)


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*1:島根県隠岐都万村、現在は隠岐の島町都万

*2:隠岐諸島の東の島の呼称