karasunogyozui2008-06-15

 昨日の師範代の日記を見ていたら、92年の湖山名人戦の層層たる顔ぶれが紹介されていて、その中に伝説の人・山中幸雄氏*1の名がありました。当時、米子から鳥取まで行っていたんですね。
 山中さん、来月20日に米子将棋まつりを行います。(詳細は今週アップします)今度は、岡山から中国山地を跨(また)いで来てください。


 さて、こちら米子の西部支部道場はと言えば、およそ24年ぶりに姿を見せたのが石田康人氏(46)。年は取ったが、話し方は変わっていない。長い間、沖縄や東京に居たということで、きっと宮本亜門のような暮らしをしていたに違いない。
 将棋の方は、高校生の塩見君を相手にプロレスのような将棋(殴りあいをしては小休止の繰り返し)を二時間以上続けていた。しばらくして先灘氏(たまたま帰省中)が顔を見せると、石田氏は懐かしがり、高校生の時、県代表になったことや一年下に森田氏(師範代)がいたことを語り始めた。
 夕方になると、「これからキムラに行こう。料理人は(将棋が)強い。左美濃なら勝てるかも・・」と言って、皆生方面に帰って行った。


 
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 画像あじさい寺。(松江市外中原町)
 なお、昨日の倉敷藤花2回戦は里見香奈女流初段が勝ち、次は3回戦で鹿野圭生初段と対戦します。

*1:失礼なことにご芳名を間違えて記載しておりました。お詫びして訂正致します。