ALWAYS

遥かな町へ

 昨日、銀杏(いちょう)並木の米子駅前通りを後にして、東へ100キロ移動。行きの車中(JR)で読んだ「将棋三昧第6号 中四国学生将棋連盟 1984・4」、中身が濃く、田尻アマ名人や鹿野圭生女流初段の文章を読み返しているうちに昭和の時代にタイムスリップしていく。1984年は昭和59年ですからね。


 昼過ぎ、駅前の百貨店で昼食をとった。食堂は閑散としていて、今風な人はいない。そう言えば、他のフロアーの客層も、高齢者が多い。
 それから、若桜通りに出て、県庁方向に向かう。店先に貼られた映画のポスターは色鮮やかで新しい。【ALWAYS 新・3丁目の夕日 全国東宝系ロードショー】1960年代の懐かしい街並みの映像が人気を呼んだ映画であるが・・・・。


 で、もう一度若桜通りに目をやると、シャッターが下りている店が目立つ。確かに人通りもそれほどでなく、しばらく行くと年配の人が二人、立ち話をしている。どうやら客待ちの店(隣同士)のご主人のようで、一方の人の腕を見ると・・・。黒い腕抜きをしている。腕抜き!?腕抜きを最後に見たのは、いつだったか。
 知らずと、谷口ジロー「遥かな町へ」(故郷の鳥取を舞台に、48歳の主人公が1960年代の中学生時代にタイムスリップするストーリー)の世界にいる気分になっていく。


 用事をしたあと、夜になって、岩美町の浦富に向かった。雨が強く、風もあった。海は時化(しけ)ていることだろう。古い民家の間の道は狭く、車のすれ違いも難しい。民家はどの建物も堅牢(けんろう)で、長い年月、雨風に耐えてきたようでもある。この街並みは、一体いつから変わってないのだろうか。


 以上、ALWAYSの旅でした。


PS
 商店街の衰退はどこも共通です。米子も、松江もALWAYSです。鳥取市の名誉のために。