将棋にうち込んだ高校時代

 K氏は高校進学後、米子将棋同好会(市内博労町)に通い、また、西部支部の大会に積極的に参加していた。その強さは当時の高校生としては別格であり、将棋に対する真摯な姿勢は周囲の目を惹き、その将来を大いに嘱望されていた。
 一方で、西部棋界は若手三強(平井、山住、興津)の台頭が著しく*1、K氏は三強を目標に日々将棋にうち込んでいたのである。
 83年(昭和58年)の鳥取県西部棋聖戦の記事から、当時の様子を見てみたい。K氏16歳の夏で、熱気あふれる文章は、当時の西部棋界の隆盛を伝えている。



 以下の記事は当時の産経新聞(K氏のノートの新聞切り抜き)から
 日本将標連盟県西部支部(高木栄典支部長)主催、サンケイ新聞社後援の第四回県西部アマチュア棋聖戦は、米子市皆生温泉の菊水本館で開かれ、同市や境港市など西部地区から参加した腕自慢のアマチュア棋士70人が、終日熱戦を繰り広げた。


 試合は前回と同じくA級(参段以上)、B級(初段〜2級)、C級(三級〜五級)、D級(6級以下)の四部門に分かれ、それぞれ三戦して二勝した選手たち三十五人がトーナメント戦に進出、日ころ鍛えた技を競い合った。選手たちは中盤の難所にさしかかると、長考に次ぐ長考で″静かな対決″。場内はむんむんする熱気に包まれた。
 今回は中高校生が初参加。池本健君(米子市・米子高二年)ら高核生3人は強豪がひしめくA級、中学生3人はD級でと善戦した。また、実力五段を誇る勝部素光さん(46)*2は、長男の慎一郎君(写真・福原中二年)とともに親子で出場、勝部さんは見事に予戦を通過したものの、慎一郎君は緒戦で敗れ、しきりに残念がっていた。



当時の産経新聞。大会風景と勝部君。


 各級の決勝戦は夕方にもつれ込んだが、好対局の末、実力NO.1に与えられる第四期西部アマ棋聖位(A級優勝者)は、平井正人四段が昨年につづいて二年連続獲得した。また、各級優勝者には、サンケイ新聞社からトロフィーと表彰状が贈られた。
 大会は白熱した好勝負が相次ぎ、決勝戦は準決勝戦で負けた人たちも対局のまわりを一囲んで観戦するなどムードは一段と盛りあがった。
 A級の決勝戦は昨年の覇者平井四段と山住道明三段の対戦となった。序盤、山住三段が先手、先手と攻め、そのまま押し切るかに見えた。しかし、平井四段は終盤になって盛り返し、結局百二十手で逆転勝ちした。
 

 各級の優勝者と準優勝者は次の通り。(敬称略)
▽A級 優勝 平井正人(米子市)  準優勝 山住道明(米子市
▽B級 優勝 田中清春米子市)  準優勝 永江経夫(米子市
▽C級 優勝 久米沢与音雄(米子市)準優勝 松本宏(米子市
▽D級 優勝 福島栄治(米子市)  準優勝 尾崎武夫(西伯町)
(次回は来週アップ予定)



平井正人氏2連覇の写真(当時32歳)


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*1:82−83年(第5期〜6期)の西部名人 82年上村猛(米子市)、83年平井正人(米子市

*2:現西部名人