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故高木栄典支部長の文章の続きです。
何分当時の大道詰将棋は、平均手数三十五手前後が主流でありましたから、小父さんは再度絶対詰むと言いました。少年は、すかさず「僕が逃げるから小父さん詰めて下さい」と言った。「よし、後で吠(ほ)え面(づら)かくな、子供とて容赦はせぬ」となかばすごんで、駒を取り上げビシリビシリ詰めにかかりましたが、少年は「ヒラリヒラリ」と牛若丸の如く体をかわし一向に詰まない。結局この将棋は不詰、見物の大人達は、声を出すのも忘れて呆然として居りました。小父さんは、何も言わずにソソクサと道具を片付けいずこともなく立ち去りました。
この少年こそ、現日本将棋連盟関西本部の長老「現日将連県西部支部師範」角田三男七段*1の旧制米子中学校一年生*2の頃の話です。矢張り専門棋士になる人達は、皆さん少年時代より夫々(それぞれ)逸話のあるものと、今更ながら感服させられます。