悲しい花

 桜の季節になると思い出す。7年前のことであるが、敬愛するY・H氏(松江市)が日記を製本されることになり、編集のお手伝いをさせて頂いた。手書きの原稿をWORDに打ち直す作業の手を止め、パソコンの画面の文章を何度も読み返していた。そして、毎年、春になると、製本された日記のそのページを開くことにしている。心に残る文章なので、紹介したい。



 平成2年4月2日(月)晴時々曇
 今日も略(ほぼ)快晴。気温も20℃ばかりになるほど、暖かだった。気持ちのいい春の一日て今日の新聞によると、昨日も略(ほぼ)快晴、気温19.4℃で、四月下旬の暖かさ。例年よリー週間早い櫻の見頃が、日曜日と重なって、城山(じょうざん)などの櫻の名所は、人でゴッタ返しだったようだが、昨日、松江と布部(ふべ)間を車で往復した娘たちも、広瀬町の飯梨川土手や、八雲村の櫻が見れて、大変きれいだったようだ。
 しかし、その櫻も、そろそろ散り始めだした。この近所の山の中の櫻の大樹も、先日来満開の花をつけ、薄いピンクの花の色が四囲(しい)*1のまだ暗い緑の木立(こだち)の間から、輝くように、目に映っていたのだが、ボツボツ散り始め、その花の色も、次第にあせていく感じに見えるようになる。花の命、とりわけ櫻の花の命は短い。
 今日の朝日の投書欄の中に、櫻にまつわる投書があった。ある家の前を通ると、すばらしい櫻の花が咲いていて、そこのおばあさんに、見事な花でお楽しみでしょうと言うと、このおばあさん、私は長年この櫻を見て、涙を流してきて、楽しむどころか、木を切ろうと思っていたこともあった。何故なら、実はこの櫻、このおばあさんが新婚時代、自分が櫻が好きだと言ったものだから、御主人がわざわざ苗木を買ってきて植えてくれたもの。所がこの御主人、間もなく出征して、戦死してしまったので、その後はこの櫻を見ると、そのご主人を思い出して悲しくなる。そういう櫻になってしまったのだそうだ。このおばあさんとしては、花の命の短い櫻が好きだと言ったばかりに、それが若くして、短命で死んだご主人の運命の暗示にまで、結びつくというのだ。ただ、年老い、長年たった最近はそれでもやっと、この花を楽しむ気に何とかなるようになったのだと、誠に一遍の掌小説(しょうしょうせつ)*2を読むような、投書であった。
 美しく、華やかなあの櫻の花も、見る人によっては、悲しい花でもあるのだ。


写真米子市神町の加茂川の櫻(8日午前7時頃)




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*1:まわり

*2:短編小説よりさらに短い形式の小説