五角形の話

karasunogyozui2008-04-29

 駒の形のことを考えていた頃の文章です。(99年5月日本海新聞
(※画像左方の駒がチャンギ、左から王将にあたる漢と楚。そして、飛車にあたる車。敵味方で色が違います。)



 昨年の夏、とある砂浜で一枚の駒を拾った。砂にまみれた駒は八角形で、文字の朱色はあせて薄くなっている。車(チャ)と書かれ、飛車の働きをする韓国将棋の駒である。遠く日本海を渡ってきたのか、あるいは船上からのものなのか、想像をめぐらすしかないが、形は違っても将棋は指されているのである。
 その駒を、今も私は駒箱の中に大事にしまっている。時折、日本の駒に交じった八角形の一枚をぼんやり眺めながら、なぜ日本の駒は五角形なのかと思う。


 大内延之九段は、その著の中で「いまだに解けぬ謎は、日本将棋の駒がなぜ五角形なのかということである。墓の卒塔婆だとか、板碑だとか絵馬だとか船型だとか、色々な類推は湧くのだけれど、いずれもただそう思うだけのことである。…駒の識別に文字を使えば駒の材料はへぎ板で充分だった。けれど文字は墨一色である。敵味方の識別をどうすればいいか。へぎ板の角を削ればいいことに気づいた。そこで駒は五角形になる…」と述べている。


 一種のヒラメキによって駒の形は生まれたことになるが、これに対し、研究家の増川宏一氏は、「板碑(供養のため墓に立てる塔の形の細長い板)や経帙碑(きょうちつはい=経典の木製の包み)は低部が広く、先端が角をなしている将棋の駒の形とまったく同じである」と述べている。
 平たく言えば、すでに中世の日本の社会には、五角形があふれていたのである。では、なぜ五角形なのか。たとえば、家屋がそうである。雨よけの両斜面の屋根の家屋は、正面から見れば五角形となる。
 また身近なものと言えば、立て札がある。立て札は外に立てる。雨が当たると立て札に書かれた文字が駄目になる。というわけで、屋根がつけられた。日常性の中に埋もれた五角形にこそ、日本の将棋の源がある。


 今から六年前、奈良の興福寺の境内の発掘調査で将棋駒十五点が出土した。大量の出土としては最古のもので、同時に出土した木簡には、『梨原御房 天喜六年(一〇五八年) 七月二六日北宿一尺』と書かれており、貴族階級が駒を宝物のようにしていた様子が分かる。
 木簡というのは、木札に文字を書きしるしたもので、その形状は十八種類あり、中でも圭頭型(上部のとがった形の細長い五角形)の木簡は、供養やまじないや荷札(表示)に使われていた。
 この興福寺の木簡は表示の機能を持ったもので、出土駒とまったく同じ形をしており、駒の形は木簡に由来していると研究家の今泉忠芳氏は述べている。


 日本将棋の駒が五角形でスタートしたこと(韓国は八角形、中国は円形、チェスは立体)が、駒の向きで敵味方の識別を容易にし、後に駒の再使用という独特のルールを編み出し、将棋に一層の深みを与えたことになる。


 
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余分な話
三角形がトライアングル、四角形がスクエア、五角形がペンタゴン、六角形がヘキサゴン、八角形がオクタゴンのようです。