高木先生との出会い

karasunogyozui2008-02-09

 高木杯の思い出をアップしてきていますが、今日は、第5回高木杯から4ケ月後の96年6月発刊した西部支部の機関紙の一文からです。
 写真は筆者の平井氏と在りし日の高木先生(米子市朝日町にて)。


 高木先生との出会いは、18年前*1福生公民館であった。
 当時、福生公民館で将棋教室を開いておられたところに、私が遊びに行ったのが縁であった。私は親しくなるにつれて、先生の自宅へ行った折、奥さんに会いビックリした事を覚えている。奥さんは私の高校時代の恩師であり、私の姉の事も良く御存知であった。その日から度々、自宅へ行く様になり、私は将棋に熱中する様になった。


 高木先生に出会ってから約半年後、将棋連盟の支部を作るから手伝ってくれと頼まれた。
 そして、昭和五十五年四月発足したのが、現在の日本将棋連盟鳥取県西部支部であり、西部支部初代支部長、高木栄典の誕生となったのである。数々の将棋大会を開催しながら新聞社、公民館等々を東奔西走し、将棋の普及に対する努力はなみなみならぬものがあった。特に、我々若者の意見を聞き入れ、蛸島彰子五段、中井広恵女流王将、森安多恵子三段、藤森奈津子二段(当時中瀬さん)*2、神田真由美初段、兼田睦美(引退)の女流プロ棋士を米子へ迎える事が出来たのも今にして思えば私には感慨無量である。高木先生は普段は、寡黙で温厚な人柄であった。


 只、酒をこよなく愛し、酒を飲むと非常に饒舌な人だった。大好きな酒の為、多少寿命が短くなったのかもしれないが、皆に惜しまれ、西部支部役員の手で葬儀を取り行なう事が出来た。その後、高木支部長追悼将棋大会も盛大に行なう事が出来、一年後には、高木杯=海の幸=争奪将棋大会が新日本海新聞社と西部支部の共催で開催され、今年が第五回であった。この高木杯は年々盛んになり、今年の参加人数は258人もの人が集まった。山陰地区では最大の将棋大会に成長したと自負する次第である。


 高木先生!天国で楽しく見守って下さい。
 我々、西部支部役員一同もっともっと頑張ります。(幹事長 平井正人)


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*1:昭和54年

*2:一昨年11月東京の支部代表者会議でお会いした時に当時米子に来たことをはっきりと覚えておられた