恵子さんのエール

 96年5月、湯川恵子さんから寄稿して頂いた文章を紹介します。
 右の写真は、左から恵子さん、田中九段、斎藤さん、弦巻さん。


 西部支部の活動でまず最初に目撃した光景は、おびただしい数の靴、靴でした。
 あの雪の日、米子空港へ出迎えてくれた支部長の名前がなんと田中康晴氏だった時からもうタダゴトではない楽しい予感(この意味、将棋通ならわかってくれますよね)がしていたのですが。
 車が米子産業体育館へ到着し二階の会場へ足を踏み入れたとたん、いや足の踏み場もないとはこのこと、広い玄関ロビーがドドドーツと靴で埋まっていたんです。
 高木杯=海の幸=争奪将棋大会。
 ブリやマツバガニにもビツクリしたが、女性と子供の参加者がとても多く、特別ゲストの田中寅彦九段も驚いていましたね。


 我々は週刊ポスト(日本で最高に売れている週刊誌よ)、トップ棋士が指導する将棋三番勝負の取材で訪れまして、西部支部の皆さんに大変お世話になりました。
 将棋の内容が面白かった!結婚式を控えて有頂天の遠藤良和くんは、性急な仕掛けが失敗して田中九段から言われましたね。「君い一気にプロポーズしたんでしょ」。でも素直なやり直し作戦が見事に大成功。
 たまたま対局が月曜日だったので皆から押されて登場したのは床屋の芦沢孝行さん。飛角両取りの銀を平然と打たせた英断が素晴らしい勝利の譜を生んだ。
 山住道明さんは田中九段からとんでもない定跡破りの強襲を喰らった。これアマ強豪の宿命です。上手の王様がとうとう盤面ド真ん中まで飛び出してきましたっけね。
 

 あっ、そう言えば、玉が飛び出す将棋が得意なのは実は大田学さんなんですよ。
 大田さんは大阪通天閣道場の師範で初代朝日アマ名人でもありますが、今や映画「王手」の主人公のモデルとして有名。大阪のテレビ局は何度か大田学のドキュメンタリー番組を放映しています。アウトローの生き方は多くのファンを魅了したでしょうが、組織に属さず将棋一筋に人生をまっとうするのはどんなに難しいことか。大田さんはその貴重な生き証人だと思います。
 昨年、久しぶりに東京へ来てもらい盤寿(八十一才)のお祝い会を催しました。
 このたび西部支部で、大田さんを招く計画が持ち上がり、とうとう実現するそうですね。大田さんもこんな形で故郷へ行けるなんて、さぞお喜びでしょう。


 米子は、あのとき幹事長の平井氏にちょっと聞いただけでも年間を通じて様々な将棋イベントがあるんですね。私が感動したのは日本将棋連盟系の大会とアマ連盟系の大会とが仲良く混じっていることや、米子将棋まつりに震災の神戸から将棋ファンを20人招いことや、津山支部との交流のこと。同じ地域で支部間の交流は意外に珍しいです。
 地元新聞社の協力も得て、仲間が力を合わせて熱心に活動している様子がよく伝わってきます。変な垣根なく大らかに活動している。将棋を軸に何か大きな夢を目指している感じですね。
 何をやるにも実際に動くのは大変ですが、皆さんどうぞこれからも楽しく頑張ってください。



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