36年前

karasunogyozui2008-01-27

 今日の話は将棋とは関係ありません。
 過日、本棚の隅から発見した新聞の切り抜きは、横井庄一さん(1915-1997)の記事。横井さんは、昭和47年(1972年)1月24日グアム島で発見され、翌月日本に帰り(写真)、その年の暮れには幡新美保子さん(米子市出身)と結婚しました。
 この頃よく聞かされたのが、36年前の2・26事件(1936年)の話。事件の首謀者と言われる西田税(みつぎ)(1901-1937)は、市内博労町の仏具店に生まれた人でした。その頃36年前といえば、歴史上の事で整理していましたが・・・。



 以下は、昭和47年(1972年)1月27日の朝日新聞






















【グアム二十五日=岩垂特派員】
 熱帯の孤島のジャングルに一人で二十八年。元日本兵横井庄一さん(56)=名古屋出身=は二十四日夜グアム島のメモリアル病院に収容され、二十五日午後地元の報道関係者と記者会見。その後、現揚検証のため現地の警察関係者とともに、これまでひそんでいたジャングルに向った。関係者の話を総合すると、横井さんは「まだ夢をみているような」状態だが、いたって元気で「まず祖国に帰りたい」ともらしているという。

 ジヤングルの中で横井さんの生活していた場所が確認され、警察関係者が炊事用具や魚とりの用具を運び降ろした。同夜九時すぎ、横井さんはグアム島第一ホテルでカルロス・カマチョ知事、シンタク日本名誉領事に付添われて再び記者会見し「まだ夢をみているような状態だが、ます祖国へ帰りたい」と語った。
 横井さんの話をまとめると、二十八年間のジャングル生活はおよそ次のようなものだ。
 昭和十八年に「満州」からグアム島に移ってきた。同十九年夏に日本軍が敗退したあと、十人ばかりの同僚とともにジャングルの中に逃げ込んだ。そのうち一人死に、二人死にとチリヂリバラバラになり、三人になった。米軍や島民に見つからないように穴を掘って暮した。私は一人で穴にこもり、他の二人は一緒に一つの穴にこもった。穴はたて穴を掘り、さらにその底から横穴を掘った。昼間はこの穴の中にこもり、夜、食べ物などをとりに出かけた。
 しかしこの二人も約八年前に死んだ。栄養失調だった。死ぬまでの間二人は「からだがしびれる」といって苦しんだ。一番つらかったのは塩がなかったこと。いま一番ほしいものは何かといわれれば塩だ。
 横井さんをみつけたのは近くの村の住民、マニュエル・グラシアさんとジーザス・ドイナスさんの二人だった。川にエビとりにきた横井さんとばったり出会い「顔をつき合わせるほど近くで気づいたので逃げられなかったという。
 軍隊時代のハサミでひげ、ツメを切った。魚とりの道具は割り竹で編んだ細長いかご。民芸品のように精巧なものだった。
 横井さんの収容されたメモリアル病院の医師の話だと、横井さんは驚くほど元気だが、やはりひどくやせていた。体重は約40キロ。穴暮らしのためか年齢のためか背骨がやや曲がり、歯はほとんど浮いてしまっているという。
 グァム島は、いま日本人観光客でいっぱい。飛行機が空港に着くとドッと日本人観光客がはき出される。その中でも新婚の二人連れが目立つ。戦争を知らない世代と、日本軍の亡霊のように28年ぶりに姿を見せた元日本兵と。この対照が何とも奇妙だ。


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