食糧危機

セイタカアワダチソウ

 一昨日の夜は、土産にもらった「きりたんぽ」を初めて食べた。しかし、晩酌のツマミ感覚が悪かったのか、だんだん腹が張ってきて、飲めなくなってくる。きりたんぽと言っても、ご飯の固まり、これが鍋のメインなのだから、おにぎり・汁・ビールの組み合わせで、やってられない。
 この話を知人にすると、昔の東北の貧しさを語り出し、「輸入が止まったたら、日本はどうなるか」と食糧危機を語り出す。知人は、勤めの合間の休日は畑を借りて野菜作りをしているという。
 それから、夕方病院に友人を見舞ったが、ちょうど夕食時で配膳係りが各病室を回っていた。見ると料理はキスの煮たのが2尾、おひたし、ちくわ・・・
 これじゃパワー出ないと思いながら、病室の食事の終わるまで、休憩室で新聞を読んでいた。そこで、目に止まったのが以下の記事(日本経済新聞・春秋) 。一部抜粋します。


「▼明治半ばの東京で、大勢の人間が白い飯を食べている場所は軍隊ぐらいだった。当時、兵学校などから食べ残しのご飯やおかずを仕入れ、貧しい人々の多く住む街で販売したのが「残飯屋」。腐った食材を「珍菜」と称し高く売ることもあったという。▼菓子問屋に運び込まれた残飯は、おこしや大福もちに姿を変えた。兵営の排水溝に流れる飯粒を網ですくう「流れ残飯拾い」という稼ぎ方もあった。生ゴミは減り、川はきれいになり、苦しい人々は助かり、菓子は安く売れる。ぎりぎりの毎日を生きる人々の存在が、今でいう循環型社会を成立させていた。▼紀田順一郎『東京の下層社会』が様々な史料を基に描いた飢えの時代からおよそ100年。飽食の時代の今、・・・」


 白い飯はやはり「きりたんぽ」のようにして食べるのが本筋なのだろうか。そういう時代は、近いうちにやって来るのだろうか。


写真セイタカアワダチソウ。かつて農作地帯であった弓浜半島は、一帯がこの雑草で占有されている。