I was born・・・

K氏のノート

 昨日の米子は、日中の気温が34.5℃。朝晩は涼しいとは言え、秋とは名ばかり。
 月が変われば、いよいよ西部名人戦の季節。今日から、ギアチェンジします。
 西部の実力者であるK氏(米子市)の棋歴を通して、鳥取県西部棋界と西部名人戦を見ていきたい。


 西部名人戦が創設されたのは78年(昭和53年)で、故高木栄典支部長や本居碩夫氏が日本海新聞社に働きかけ実現したものである。そして、この棋戦は県西部地区の最大の棋戦として発展していった。*1


 当時の米子市内の各中学校には将棋クラブがあり結構盛んだったので、西部名人戦はクラブの中学生の関心事であった。K氏もその一人で、本格的に将棋を始めたのは、中学3年の81年(昭和56年)頃のこと。今と違ってジュニアクラスがなかったので、大会に出ることはなかった。
 この頃、級友の三木徹氏らを誘って、唯一の中学生の大会であった米子市中学校対抗戦(3人一組の団体戦)に出場した。会場は米子市上福原の西部支部道場で、市内のほとんどの学校が参加した。その中にショートヘアの女子が一人いた。当時としては珍しい紅一点は、美保中の先灘さんであった。
 大会はK氏の湊山中が、ライバルの福原中を倒し、優勝した。
 明けて82年1月、湊山中の始業式の会場で、校長先生から特別に表彰を受けた。級友らと過ごした中学生時代のよき思い出である。


 写真は、K氏が其の頃の新聞の観戦記や大会結果の切抜きを綴ったノート。
 表紙に英語で落書きされているのは、I was born on November 24.多分、バースデー?

*1:78−81年(第1期〜4期)の西部名人 78年山根一郎境港市)、79年角行孝(境港市)、80年勝部素光(米子市)、81年上村猛(米子市