アマ王将戦の変遷1
西部支部は80年創設(昭和55年)で県内では新しい支部であった。
84年(昭和59年)の大会を見ると次の通りとなっている。
1月15日 県知事市長杯争奪戦
3月 4日 米子市公民館対抗戦
3月25日 春季大会
4月15日 第5回創立記念大会
5月27日 第2回米子将棋まつり
7月 8日 第5回サンケイ棋戦
8月26日 夏季大会
9月23日 秋季大会
10月28日 段位認定戦
11月25日 西部名人戦予選
12月 9日 忘年将棋大会
当時、新聞社の棋戦は米子市内の米子支部、西王支部*1が行っており、西部支部は自前の大会のみであった。
しかし、故高木栄典支部長(写真右)の人望と田中清春氏・松本孝光氏ら当時の役員の協力で、各種大会が開催され活気にあふれ、大いに賑わっていた。その頃は、すべてを忘れて将棋に打ち込んでいたし、西部支部の大会が待ち遠しかった思い出がある。
この当時、現在のアマ王将戦の前身である鳥取県王将戦は米子支部*2が行っており、西部地区予選→県大会→3番勝負となっていた。この鳥取県王将戦が、後に21世紀王将戦(95年―99年)、アマ王将戦(00年ー)へと変遷していくのである。