第7譜 通天閣とともに

平成8年4月14日
大阪通天閣将棋センター


平井正人(米子市、45歳)
大田学 (大阪市、81歳)


 対局時間はすでに二時間を過ぎた。窓越しの春の日差し、たばこの白い煙、隣のゲームセンターの喧騒(けんそう)。大田さんの背もたれの後ろには、合成樹脂の白い看板がある。「アマ名人大田学将棋指導席」と。
 「どうも、どうも。えらいことをした。」大田さんは投了を告げた。「△53金で△64銀はどうだったかな。」駒を並べ直すと、長い感想戦が始まる。膨大な変化手順を私はノートに記していたが、ついに触れることなく終わってしまった。
 プロでもないアマでもない真剣師として、最後まで自分の行き方を通した大田さんは、大正三年生まれ。この通天閣(明治四十五年建築)に毎日顔を出すのが日課とか。
 「これっ、土産です。ウルメのメザシです。カルシウムを取ってください」と私が言うと、「おおきに。背筋ピッと伸ばさんといかんなあ。ハハハ。」その和やかな笑い声の向こうに見える窓越しの街の景色には、やはり通天閣に集まる幾筋もの道があった。


(F図から)▲33歩△44銀▲65竜△33銀▲54竜△53金▲61金△同玉▲53竜△62金▲51金△71玉▲33竜△82銀▲22竜△83銀▲61飛まで先手の勝ち 指手通算105手