思い出の鳥取県棋界 5 

 後藤喜三郎氏(米子市老人将棋同好会会長)の文章「将棋と米子」(84年、昭和59年)を一部要約しながら紹介したい。


 昭和16年頃に「鳥取市出身の松田茂役五段が八段棋士を総なめにして将来の名人候補」と言われたことや、「岸本町出身の角田三男五段」の活躍にもふれている。角田先生は、西部支部創設時(80年、昭和55年)に師範を引き受けて頂いている。
 「戦時下で将棋界は余り芳しくなく、昭和22年か米子地方も将棋熱が盛んになり、法勝寺町の油屋書店内に日本将棋連盟米子支部が誕生した。支部長は森田嘉一病院長であった。」と記されており、山陰両県で初の支部であったようだ。